引退を表明した豊ノ島「もう一回、菊とやりたかった」 2020年04月18日 カテゴリ:琴奨菊豊ノ島 1: すもにゅ~ 2020/04/17(金) 21:33:10.10 ID:FxD+rTbY9 三役を13場所務め三賞も10回受賞し相撲巧者として活躍した元関脇豊ノ島(36=時津風)の引退が17日、決まった。 日本相撲協会は同日、理事会を開き、豊ノ島の引退及び年寄井筒の襲名を承認した。 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、記者会見を開けなかった井筒親方だが、報道陣の取材には電話で応じた。 -18年間を振り返って 豊ノ島 自分自身も長かったと思うけど、終わってしまえば長いような短かったような。もう終わったという感じ。 -思い出の一番は 豊ノ島 聞かれるなと思ってずっと考えていたけど、多すぎてなかなか難しい。白鵬関との決定戦(10年九州場所)、菊(琴奨菊)とやった一番(琴奨菊が優勝した16年初場所)。 他にもあるけど絞ってその2つです。それが記憶に残っている。 -引退を決めたタイミングは 豊ノ島 正直、大阪場所で通常開催だろうが無観客開催だろうが、負け越したら辞めるつもりだった。そう僕自身の中では決めていた。 1月(の初場所)もそうだったけど、その時は家族と話してもう1場所、頑張ろうとなった。そうなったので大阪で負け越して終わりだと思った。東京に帰ってから、いろいろ話をまとめた。コロナというのもあったけどね。 -「第2検査」(体の小さな入門希望者を対象とした新弟子検査)で初の関取だった 豊ノ島 はじめは自分なんかがと思っていたけど、舞の海関が頑張っている姿を見て、小さいのにすごいなと思った。自分が頑張ることで小さい子が頑張れると思ってやっていた。 -アキレス腱断裂などケガも多かった 豊ノ島 しんどかったし本当に家族がいなかったら辞めていた。本当に家族のおかげ。よく「家族のおかげ」と言うじゃないですか。 14勝1敗の時(白鵬との優勝決定戦で敗れた10年九州場所)は全く思っていなかった。土俵に向かう時に、めっちゃ孤独を感じていた。周りの応援がすごすぎて。でも1人だったら絶対にダメだった。18年の相撲人生の中でその両極端を経験できたのは良かった。 -関取に復帰した時の気持ちは 豊ノ島 戻った時は前とは違った。正直、もう少し幕内で取れると思ったけど、そう簡単にはいかなかった。(19年)名古屋場所で千代大龍と7勝7敗で当たった。(結果負け越し)。勝ってもギリギリ8勝なんだなと思った。 -後悔は 豊ノ島 悔いはありませんけど、あるとすればもう1回、菊(琴奨菊)とやりたかった。(19年)名古屋は本当にやりたかった。これから菊とは真剣勝負がないわけですからね。 -どんな指導者になりたいか 豊ノ島 今まで指導している親方を見てきて、どうしたら(弟子に)伝わるのかなと考えていた。自分はその子が出来るまで付き合っていける指導がしたい。 ほったらかしにするのではなく、どこまでも付き合っていくのが大事だと思う。どこまでその子たちに付き合えるか。まわしの切り方とか体の寄せ方を教えるのは簡単。 どれだけ付き合えるかを大事にしたい。自分が、めちゃくちゃ(稽古を)やるタイプではないというのは理解している。(弟子に)「一生懸命指導するから頑張れよ」と言いたい。 ケガしてから考え方も変わった。一番一番大事にしてきたから。 https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202004170000667.html 【引退を表明した豊ノ島「もう一回、菊とやりたかった」】の続きを読む タグ :引退豊ノ島琴奨菊