すもにゅ~

大相撲ファンによる大相撲の2ちゃんねるまとめです。

    武蔵丸

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    【低迷する大関陣に元横綱・武蔵丸の武蔵川親方が辛口ゲキ】の続きを読む

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    1: すもにゅ~ 2021/09/17(金) 20:13:26.81 0
    ハワイ出身

    【元横綱「武蔵丸」について知っていること】の続きを読む

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    1: すもにゅ~ 2021/07/20(火) 12:02:00.36 ID:7YrCL3RV0
    千秋楽結びの一番は、横綱白鵬と大関照ノ富士の全勝対決。ひさしぶりに見る方も熱が入った一番だったね。白鵬の勝ちは勝ちなんだけれど、やっぱり右肘で顔面を狙うのはいけないよ。

    僕は以前から同じことをずっと言っているんだけど、思い切り顔にヒットしていて、あれは”かちあげ”という技ではない。照ノ富士をよく見ると、一瞬フラッとしていたもの。

    デカい照ノ富士だからまだ大丈夫だったけれど、相手によってはこの一発で相撲人生が終わってしまうくらいの、本当に危険なこと。十両の土俵でも、2日目の炎鵬対貴源治戦で、貴源治が炎鵬に脳震とうを起こさせたことがあった。
    ここ数場所で、たびたび脳震とうの問題があったでしょ? もう協会も「危険な違反行為として禁止」と、スパッとルールを決めちゃえばいいと思うよ。

    【【悲報】武蔵丸ブチギレ「白鵬よ右ヒジで顔面を狙うのはいけない」「元横綱の僕は許せない」】の続きを読む

    1: すもにゅ~ 2021/05/03(月) 13:11:35.08 ID:CAP_USER9
    5/3(月) 11:00
    デイリースポーツ

    元横綱武蔵丸の武蔵川親方 50歳で半生振り返る「ちゃんと酒をやめていたら」
     武蔵川親方
     大相撲の武蔵川親方(元横綱武蔵丸)=デイリースポーツ評論家=が2日に50歳の誕生日を迎えた。現在、日本相撲協会親方衆の中では優勝12回は最多。連続勝ち越し55場所は史上1位。若貴、曙と熱狂の4横綱時代を築いた“マルちゃん”が「半世紀」を語った。

     米国ハワイ・オアフ島出身。高校ではアメリカンフットボールに打ち込み、DFラインの選手。大学からスカウトされるほど有望な18歳が、未知の日本、相撲の世界に飛び込んだ。

     「(日本に来たのが)18歳の6月だったね。もう少しで32年になるよ。50年、早いなあと思う。(当時は)50歳はおじさんのイメージだった。自分が50歳になるなんてな」。電話取材で親方は笑って言った。

     文化も食生活も違い、不安もあったが「好きな仕事をやりにきたんだからね。合わせないといけない」と、常に前向きな性格。「食えないもの食っていかなないと。何でもトライしたよ。嫌いなものも食べられるようになったね」と納豆も今では普通に食べられる。

     師匠の先代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)は厳しかった。「先代が毎日教えてくれた。強くなりたかったから。師匠の話を聞いて、うまくなった。『一生懸命、努力しろ』って、その言葉だな。(指導者となった)今も、心にあるね」と、師匠には感謝しかない。

     幕下時代は毎日100番は取った。「関取になっても場所中、毎日30番」と猛稽古でぐんぐん出世。20歳時の1991年九州場所で同い年の貴ノ浪(元大関)と新入幕。1994年初場所後に新大関に昇進した。同年名古屋場所で外国出身力士として初となる全勝優勝で初賜杯を抱いた。

     綱とりに何度も挑みながら、ハワイの先輩・曙、貴乃花の両横綱が壁となった。1999年夏場所、5度目の優勝でついに第67代横綱をつかみ取った。ここから、空前の相撲人気、歴史的な4横綱時代が到来する。

     大関32場所で通過は琴桜と並ぶ昭和以降1位タイのスロー昇進。親方は「お酒を飲んだり、ちょっとふらふらしてたかな。ちゃんと酒をやめていたら、もう少し早く上がれたかも。酒をやめて、相撲に集中してやろうと思ったらすぐに上がったな」と豪快に笑い飛ばした。親方は1996年1月に日本国籍を取得。日本人としての横綱昇進だった。

     アメフット時代、負傷した首、左肩が悪化。左四つの型を右差しに変えた。差し手の右の腕(かいな)を返して、寄るスタイルで優勝を重ねていった。

     横綱昇進後は貴乃花に7勝1敗と徐々に上回るようになる。「全然、向こう(貴乃花)の方が強いし、うまいんだからね。これをやろうと思ってもできないよ。俺は当たって前に出るしかない。(右四つへの転向も)押し相撲だけでは勝てなかったから」。ライバルたちに勝つため、試行錯誤し続けた。

     晩年の貴乃花には本割で5連勝。しかし、優勝決定戦は4度、戦い結局1度も勝てなかった。あの、日本中が注目した運命の一戦も敗れた。

     2001年夏場所、右膝に大けがを負った貴乃花と決定戦。異様な雰囲気の中、明らかに相手を気遣っていた。上手投げにゴロンと転がり、V逸。総理大臣杯を授与した小泉首相の「感動した」は流行語になった。

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    https://news.yahoo.co.jp/articles/e41c76016d0bbb25f64008a3e9c71668f59e4ba8

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    1: すもにゅ~ 2021/03/25(木) 20:01:12.46 ID:pd298v3ap

    【3代目若乃花、武蔵丸、稀勢の里、鶴竜の中で1番強い横綱だったのは】の続きを読む

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